ごぼうが黒くなるのは、失敗じゃない。鉄フライパンが教えてくれる“素材を活かす料理”の話
ごぼうが黒くなるのは、失敗じゃない。鉄フライパンが教えてくれる“素材を活かす料理”の話
フライパンでごぼうを炒めていると、「あ、黒くなっちゃった」そんな瞬間、ありませんか。
特に鉄フライパンを使っていると、思っているよりも早く色が変わって、茶色というより少し黒っぽく見えることもある。
焦げたかな。失敗したかな。見た目、ちょっと地味だな。
最初は、そんなふうに感じるかもしれません。
でも、実はこの「黒くなる」という現象、悪いことが起きているわけではありません。
黒くなるのは、ちゃんと反応しているから
ごぼうにはポリフェノールが多く含まれています。この成分は、空気や熱、金属と反応すると色が変わる性質を持っています。
リンゴを切って置いておくと茶色くなる。あれと同じような、ごく自然な反応です。
鉄フライパンの場合は、そこに更に鉄の反応が加わるため、色がより深くはっきり出やすい。
つまり、黒くなる=焦げ
ではなくて
ごぼうが、鉄と熱に反応して動いている途中なんです。
ここで大事なのは、「黒くしないようにしよう」と考えることではなく、「あ、今ちゃんと反応しているな」と受け取ることじゃないかと思っています。
都合いい方かもしれませんが、ただでそれだけで、料理の見え方が少し変わります。
黒くなることで、生まれている良い変化
まず、香り。
鉄フライパンで炒めたごぼうは土っぽくて香ばしい、ごぼう特有の香りが立ちやすい気がします。
この香りが出てくると、もうそれだけで「ごぼうを食べている感じ」がしてしまう。
次に、味。
生のごぼうにある少し尖ったえぐみは、火と鉄が入ることでただの苦味ではなく、奥行きのあるコクに変わっていきます。
そう考えると悪くないなって思います。
そしてもう一つ。
香りとコクが出ると、砂糖や醤油をたくさん足さなくても、ちゃんとこぼうらしい味になる。
つまり、黒くなることで、素材そのものが前に出てくるって言う手はずです。これが鉄フライパンの第5位って言ったら都合よすぎますかね…
で
黒くなること自体は、良い・悪いの問題ではなく、素材がちゃんと反応しているサインです。
「おいしい味を作る」から「素材を活かす」へ
料理をするとき、私たちはつい「おいしい味を作ろう」と考えます。
調味料をうまく使って、甘さを足したり、コクを足したり、えぐみを消したり。
それはそれで、間違いではありません。むしろ、とても大切な技術です。
でも、もう一つ別の考え方もあります。
素材がもともと持っている性質を、どう活かすか。
ごぼうで言えば、少し土っぽい香り。少しえぐみのある味。
それを「消すべきもの」と考えるか、「活かせる個性」と考えるか。
この視点が変わると、料理の組み立て方が変わってきます。
ごぼうは「消さない方がおいしい」素材
ごぼうの土っぽさは、決して欠点ではありません。
それは、ごぼうが土の中で育ってきた証であり、根菜らしさそのもの。
えぐみも同じ。ただ消してしまうと、ごぼうでなくてもいい味になってしまう。
だから、調味料で覆い隠すのではなく、調味料を使って“整える”。
醤油は、味を決めるためではなく、香りと香りをつなぐために。
砂糖は、甘くするためではなく、角を少し取るために。
調味料を主役にしない。補佐役に回す。
そう考えると、きんぴらごぼうは、とても理にかなった料理に見えてきます。
砂糖を「役割」で見ると、選び方が変わる
たとえば、黒砂糖。
黒砂糖は、ミネラルを含み、コクと香りがあります。
鉄フライパンで炒めたごぼうと合わせると、土の香りと香ばしさが自然につながり、甘さが前に出すぎない。
色は少し濃くなりますが、その分、冷めても味が崩れにくい。
一方、甜菜糖。
甜菜糖は甘さがやわらかく、後に残りにくい。オリゴ糖を含み、全体を丸くまとめてくれます。
どちらが正解、という話ではなくて、ごぼうをどう活かしたいかで選ぶ。
砂糖を「甘味」ではなく「調整役」として見ると、料理はずっと自由になります。
そもそも、ごぼうはなぜこんなに親しまれてきたのか
ごぼうは、昔から「体にいい」と言われてきました。
でも、江戸時代の人たちは、今のように「これはここに効く」「これは便通にいい」とは現代のように言わなかったと思います。
その代わりに、こんな言い方をしていたと言われています。
「冷えるなら、根のものを食え」「腹が重いなら、腹をいたわれ」
とても曖昧な言葉です。でも、当時の人たちには、これで十分伝わっていました。
その言葉を聞いた台所で、起きていたこと
「根のもの」と言われて、台所で思い浮かぶのは、大根、里芋、そしてごぼう。
体を下から支える野菜たちです。
体が弱っているときは、煮る。煮ごぼう、味噌汁、炊き合わせ。
忙しい日や、作り置きしたいときは、炒める。油でさっと火を通して、水分を飛ばして、味を濃縮させる結果日持ちさせる。
きんぴらごぼうは、理屈で生まれた料理ではなく、暮らしの都合と体感の積み重ねで生まれた形かもです。
言葉より先に、体が知っていた
江戸時代の人たちは、ごぼうを分析して選んでいたわけではありません。
でも、
• 食べると腹が軽い
• 続けると体がもつ
• 冬でも調子を崩しにくい
その感覚を、ちゃんと体で知っていた。
鉄の鍋で炒めて、少し黒くなっても、それを失敗とは思わない。
香りが立って、腹にすっと入るなら、それでよかった。
鉄フライパンでごぼうを炒めると、少し黒くなる。
それは、今の台所でも、昔の台所でも、同じように起きていること。
黒くなったら、「あ、素材が動いているな」そう思ってみる。
調味料で消すのではなく、素材を活かしながら、必要な分だけ補佐する。
ごぼうは、そんな料理の考え方を、静かに教えてくれる素材なのかもしれません。













