洗う音が、聞こえていたころの話―― 小豆と餅と、火の前に立つ時間
小豆を洗う音が、聞こえていたころの話
小豆というと、あんこやお汁粉、ぜんざい。甘いもの、特別な日の食べ物。そんなイメージを持っている人は多いと思います。
でも、少し立ち止まって考えてみると、小豆という作物は、最初から「甘いもの」でも、最初から「ごちそう」でもなかったはずです。
小豆がなぜ日本の食文化に残り、行事や節目の食べ物になったのか。それを考えるとき、避けて通れない前提があると思っています。
米が作れるなら、米を作る
農業の話として、これはとても単純です。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代どの時代をとってもその土地で米が作れるなら、迷わず米を作ったと思います。
米は、主食であるし、農業としての収入源の主軸にもなった時代が多いし、収穫ができれば収穫量が多く、ある程度保存がきき、人を生かす力が圧倒的に強い作物です。
だから、「本当は小豆を作りたかったけれど、仕方なく米を作った」ということは、まずないと思うんです。
米が成立する土地では、米が最優先で選ばれてきました。
この前提を置かないと、小豆の立ち位置は正しく見えてきません。
小豆が選ばれたのは「条件に合っていた」から
では、小豆はどんな土地で作られてきたのか。
農作物って基本的にはそうだと思うのですが、米が作れない、あるいは作りにくい土地でも、この条件でちゃんと育って、ちゃんと収穫できるものは何か。
そう考えた結果、小豆が条件に合っていた土地で選ばれてきた作物です。
小豆の栽培に向いているのは、
• 水はけがよい土地
• 肥えすぎていない土
• 夏が蒸れにくい環境
逆に、
• 水が溜まりやすい低湿地
• 過度に肥沃な土地
• 高温多湿が続く気候
は、小豆にとっては不向き。
この条件に合う代表例として、丹波の盆地や、北海道の内陸部が挙げられます。
北海道というと寒さが注目されがちですが、小豆が育つ理由は「寒さに強いから」ではありません。
小豆は霜に弱く、耐寒作物ではない。
ただ、高温多湿を嫌うため、夏が冷涼で乾きやすい地域のほうが、結果的に安定するのです。
つまり小豆は、「条件が厳しいから仕方なく作られた作物」ではなく、土地をよく見たうえでの、合理的な判断として作られてきた豆でした。
量で勝てない作物は、意味を背負う
面積あたりの収穫量で見れば、小豆は米にまったくかないませんから、毎日食べて人を養う作物にもならなかった。
その代わり、
• 保存ができる
• 加工ができる
• 少量でも分け合える
という性質を活かして、節目や行事などの食べる場に使われるようになっていきます。
量で勝てない作物は、意味を引き受ける。
これは、生活の知恵だったと思います。
小豆を洗う音と、働く人の気配
ここで、ひとつ思い出したいのが小豆洗いという妖怪の話です。
小豆洗いは、よくも悪くもをいろいろな伝わり方がしています。ただ、川辺や水辺で、小豆を洗う音が聞こえるだけと言うのはあります。
つりは、夜、日が落ちると、人の姿は見えなくなる。でも、音だけが聞こえる。
これは、怖がらせるための妖怪というより、日が落ちても働いていた人の「気配」だったのかもしれません。
豆を洗い、砂を落とし、明日の仕込みをしているって言うふうに、単純に考えたら妖怪と言うよりも働く日常の姿と思うのも悪くない方法だと思います。
じゃあ、それは何の仕組みだと考えると‥‥‥
甘くなったのは、ずっと後のこと
小豆は、最初から甘かったわけではありません。と言えるのは、砂糖が自由に使えるようになるのは、江戸時代も後の話です。
それまでは甘いものと言えば貴重というよりかなり贅沢でした。
もちろん江戸時代規模贅沢品ですが、その贅沢をするときに何がって言うと…
お祭りとかお祝い事とか、いわゆるハレの日じゃないかなと。
あずきの料理が、この国では日常のお料理というより、何かと特別なお料理である。そんなことからかと思うと、なんだかお料理って面白いですね。
しかも小豆を炊くこと、そしてそれに餅を入れることって、その動作って実は昔と大差がないんですよね。
つまりは、昔が昔じゃなく、今が昔と同じであって、なんかそんなふりして作物の収穫をいただきながら私たちは暮らしてきたじゃない。小豆1粒でも面白いです。
鉄フライパンで餅を焼くという行為
こういう話をしていると、料理って不思議だなと思います。
新しいことをしているようで、実は、ずっと続いてきたことをもう一度なぞっているだけ。
鏡割りが終わるころ、ふと、餅のことを思い出します。
実は、鉄フライパンでも餅は焼けます。
やり方は、とても簡単です。
• 鉄フライパンをしっかり予熱する
• 油はひかない
• 餅をそのまま置く
• 動かさず、焼き色がついたら返す
それだけ。
じゅう、という音と、少しふくらむ餅を見ている時間。これもまた、昔から続いてきた「火の前に立つ時間」です。
小豆を洗う音が聞こえていたころも、餅を焼く音が鳴っている今も、やっていることは、案外変わっていないのかもしれません。
料理って、いいなと思うのは、こういうところです。食事って、素晴らしいなと思うのは、こういう時間が、今も残っているところです。
火にかけて、待って、ひっくり返す。
それだけで、ちゃんと、おいしくなる。












