寿司屋で「卵」が「玉」になる理由──卵焼きが語る、職人と家庭のあいだ

卵焼きが「玉」になるまで
── 江戸前寿司と、台所のあいだの話


卵焼きって、考えれば考えるほど、不思議な料理だなと思うんです。
卵を溶いて、火にかけて、焼くだけ。ほんと、それだけなんですよね。

それなのに、ですよ。寿司屋では卵のことを「玉(ぎょく)」って呼ぶんです。
お寿司屋さんのカウンターの上にあるネタが入っているケースに入っていたりしてと言う事は魚のネタと同等って事?いや、ネタのひとつというより、まるで特別なものって感じです。

おせち料理でも同じ。伊達巻やだし巻き卵は、重箱のいちばん目立つ場所に入ってる。あれも、ただの“副菜”みたいなポジションじゃないんですよね。



じゃあ、いつから卵焼きは、こんなふうに“特別な存在”になったんでしょうか。

江戸前寿司が生まれた頃って、そもそも寿司って今のイメージとは全然違ってたんです。
立ち食いの屋台でサッと食べる、安くて早くて、お腹にたまる──いわば“江戸のファストフード”。
ネタの中心は、当然魚。その日の獲れ高や、季節、相場で価値が決まる。
職人にできるのは、「いい魚を見極めて、上手にさばく」っていう、言ってみれば素材を生かすっていう感じの仕事だったんです。



でも、卵焼きだけは…ちょっと違ったんです。

たとえば砂糖をたっぷり入れるか、控えるか。出汁を加えるか、あえて入れないか。塩はどうするとか。

それに混ぜ方は、いろいろ。

そして、どう火を入れて、どこまで焼き込むか。
どこをどうするかで同じ卵でもまったく違う味になる。
その「違いが出せる」っていうことが、後々、大事な意味を持ってきたんです。


江戸の後期になって、寿司が屋台から店へと移っていった頃。「この店らしさ」とか「この職人の仕事はどうだ」みたいな視点が求められるようになっていきました。
そこで、卵焼きが注目され始めてきたと思うんです

だって先ほども言ったように、魚と違って、卵焼きって、職人本人の感覚や考え方が、ちょっと怖いくらいにストレートに出るんですよね。

寿司屋で「卵」じゃなくて「玉(ぎょく)」って呼ぶのも、なんか象徴的だなあと思うんです。
だって、「玉」って、宝玉の“玉”ですよ?つまり、大事なもの、簡単には扱えないものっていう意味。
卵焼きは、ネタの一つじゃない。「その店の顔」なんです。

魚だったら、「今日はいいネタ入ったね」で済んでも、卵焼きは、「この店はこういう味を良しとしてるんだな」が、一口で伝わっちゃう。
だからこそ、寿司屋では、玉子焼きをそんなふうに考えていたんじゃないかと思うんです。満腹の舌で食べても、その違いがちゃんと伝わるかどうかとか。
「いらっしゃいませ」と言ったあとのご挨拶がわりとか。

いや〜、なかなかシビアな世界です。


この感覚って、おせち料理にも残ってるんですよね。


伊達巻やだし巻き卵って、卵を何個も使って、しかも手間がかかって、失敗もできない。
しかもね、昭和の初めごろまで、卵ってめちゃくちゃ高かったんです。今の感覚で言えば1個100円を超えるくらいの贅沢品。
だから卵をふんだんに使うってこと自体が、「この家には余裕があります」っていう、言葉じゃないメッセージになっていたんじゃないでしょうか。

それでいて、いちばん目立つところに卵焼きを置く。奥じゃなく、表に出す。そこにも、ちゃんと意味がある。



そう考えていくと、卵焼きって、すごく自由な料理だなって思うんです。


魚は、どうしても素材が主役になるけど、卵焼きは、作る人が主役。
お寿司屋だったら、それが職人の「顔」になるし、作り方ひとつで、味も食感も見た目も、いくらでも変わる。
しかも、火と向き合う時間が、そのまま出るんですよね。
急げば、急いだ味になるし、待てば、待ったなりの味になる。
そこには、鉄のフライパン良い味出してくれるじゃないでしょうか。

火を入れた瞬間の「ジュッ」って音。卵が固まりはじめるタイミング。そういうのが、ぜんぶ隠れずに出てくる。
こっちの感覚を試されてるような…「今、どうする?」って聞かれてるような気さえしてくるんです。


じゃあ、家庭の卵焼きってどうなんだろうなって考えると、お弁当に入れるあの小さな卵焼きにも、やっぱりその人らしさが出るんです。

甘めにするか、出汁をきかせるか。しっかり焼くか、ふんわりさせるか。
どれも間違いじゃなくて、どれも“その人らしい”。
やさしい味だったり、きっちりした味だったり、ちょっと甘やかしてくれてるような味だったり。

お寿司屋の卵焼きが「店の顔」なら、お弁当の卵焼きは、「その人の気配」みたいなものかもしれません。


卵焼きって、いまは高級料理でもないし、特別なごちそうってわけでもない。
でも昔から、お寿司屋では大事にされていて、お正月には欠かせなくて、そして今も、台所で日々つくられている。
作る人次第で、どこまでも表情が変わるから。
だからやっぱり、卵焼きって、いい料理だなあって思うんです。

 


2026年01月07日